2016年度 第8回受給者 楠山 譲二の体験記

2021.05

ロングウッド逍遥派になりませんか?

東北大学学際科学フロンティア研究所 独立助教
楠山 譲二

私はサンスター財団金田博夫研究助成基金のご支援を賜り、2017年8月よりハーバード大学医学部附属ジョスリン糖尿病センター(以下ジョスリン)に留学させていただきました。日本では主に細胞分化に関する研究に携わっていましたが、留学中は一転して運動効果の分子生理学的解析に携わり、現在は胎盤を介した生活習慣の次世代伝播の解明を目的として、独立して研究室を運営しています。留学してから研究テーマを大幅に変更した一例として、ボストンで研究したことの意義を紹介できればと思います。 さて、皆さんは「逍遥」なさっていますか?逍遥とは、気ままにあちこちを歩き回ることを意味する熟語です。ボストンは生活の全てを徒歩圏内で収めることができ、治安も非常に良い場所です。ジョスリンのあるロングウッドメディカルエリアには、錚々たるハーバード関連研究機関が集約されており、すぐに訪れることが可能です。生活面でも研究面でも、ボストンは逍遥するのに最適の場所でした。
そういうわけで、日本では車通勤でしたが、ボストンでは研究所まで25分の道のりを毎日歩いて通いました。今でこそ運動研究に携わっていますが、私は実は根っからの運動嫌い。巷のボストン留学記はマラソンに開眼した人たちで賑わっていますが、私は彼らとは対極の位置にいました。しかしそんな私でも、歩くことだけは気に入りました。伝統と風情を感じるBrookline(ボストンの西隣の街)、豊かな自然の中を闊歩するターキーやカナダグース、自然と耳に入る多国籍言語。自分が異国で暮らしているのだなと肌で感じられ、これがボストンの最高の思い出になってもおかしくありません。

毎日の通勤路のLongwood Avenueではカナダグースがよく歩いています。

でも、それだけでは留学は失敗です。研究留学はプロジェクトであり、成し遂げなければならないことがあります。ですので、実際には歩きながら研究のことばかり考えてしまうのが常となります(四季折々の景色も存分に堪能しました!)。朝はその日の実験、帰りは結果の振り返り。毎日休むことなく反芻しては、時々アイデアが閃いたりする。歩いている間は不思議と研究だけに集中できるのです。気が付くと、ロングウッド周辺をよく歩き回るような生活をしていました。

アリストテレスは散歩しながら講義を行ったことから、彼とその学徒を逍遥学派と呼ぶそうです。だとしたら、私はロングウッドをそぞり歩きながら研究のことを考えていたので、さしずめ「ロングウッド逍遥派」を自称しています。

私の博士論文はメカニカルストレス(細胞に加わる力学的刺激の総称)を利用した間葉系幹細胞の分化制御に関する研究でした。博士号取得後も研究を続け、メカニカルストレスの多彩な機能を見出すにつれ、体中に加わる力学的効果をより代謝生理の観点からアプローチしてみたいと考えるようになりました。個体におけるメカニカルストレスの統合点、それは運動です。いっそ留学するのなら、やったことのない運動研究の世界に飛び込んでみよう。それが運動嫌いの運動研究者誕生のきっかけです。

そこでジョスリンで運動に特化したプロジェクトを推進している、Laurie Goodyear教授の研究室を留学先に選びました。Goodyear研究室への紹介も知り合いもありませんでしたが、Goodyear教授は快く受け入れてくれました。日本人は私ひとりだけで、大人数・多国籍・男女同数・職歴様々という多様性を是とする雰囲気が、僕には大変マッチしていたおかげで、毎日楽しい研究生活を送れたのは幸運でした。

留学初日、Goodyear教授には何でも好きなことをやって良いと言われ、初めの1か月は運動・骨・筋肉をキーワードに実験をしていました。自分は日本で少し骨研究に携わっていたので、運動との関係で何かうまいことができるのではと思ったからです。しかし良いデータは1つも出ないし、とにかく実験をしていても面白くない。そもそも運動と筋骨格という研究テーマがあまりに安直過ぎましたし、私は骨も運動もプロの研究者ではなかったので、どうしても解析が浅くなって行き詰まりました。これでは到底うまくいかないだろうなと早々にやる気を失い、このテーマを諦めることにしました。

じゃあどうしようかと考えていたところ、たまたま妊娠期運動が子供の代謝に与える影響に関するNIHグラント申請の時期が迫っており、前回の申請書を精読してみることにしました。するとそこには、まだやっていないこと/考えなければならないことが山とあり、そもそも自分はより多様な解析ができると、アイデアが泉のごとく湧きあがりました。これならすぐに取り掛かれると、このプロジェクトを志願して、新しいテーマに気持ちを切り替えました。私が留学に挑むにあたって、細胞分化から運動解析への研究分野の変更は自分の気持ちを奮い立たせる格好の推進力となりました。異国の地で生活するより遥かに刺激的で、何より新しいことを貪欲に吸収しようという欲求と必要性に駆られた日々は、世界の第一線で研究している確かな実感があったものです。僕の自主性と創造性を尊重し、資金と時間を思うがまま使わせてくれる環境を与えてくれたGoodyear教授には本当に感謝しています。

そもそもアメリカでは研究分野を変えることが非常に推奨されており、一種の美学に近いものがあります。私は留学するまで、糖尿病や運動に関する知識や実験技術を何ら持ち合わせていませんでした。しかし、それは全くの杞憂であり、私の持つ異なる研究バックグラウンドは多くの面で重宝しました。例えば、親への運動介入の効果を仔のフェノタイプで実証しようとした場合、解析可能な仔が育つのを最低でも5か月は待たなければなりません。運動研究の世界では、このように時間がかかるのは当たり前のことのようでしたが、細胞培養の研究をしていた自分にとって、この待つという行為が大きなカルチャーショックでした。待っている間に次段階の解析で用いるアッセイ系を構築すべきではないだろうか、そもそも胎仔段階でより早期に実験を進めることはできないのだろうか。フラストレーションをモチベーションに変えて、個体でフェノタイプを観察しながら同時に細胞でメカニズムを解析することで、この分野の研究としてはかなり早いスピードで成果を挙げることができたと思います(Kusuyama et al. Nature Metabolism. 2020, Kusuyama et al. Cell Metabolism. 2021)。

ある日、Goodyear教授に、なぜ縁も所縁もない私をポスドク採用してくれたのか尋ねたところ、一番の理由は私が今までのラボメンバーと経歴も研究内容も全く異なっていたから、と教えてくれました。異なる専門性が現在のラボに無いテクニックや考え方を持ち込むと共に、既存メンバーの専門性を異分野に発展的に活かすという、コラボレーションを有効利用するアメリカらしい考え方だと思います。日本は極端に繋がりにこだわる傾向にありますが、そうではなくフラットに特異性と多様性を尊重する姿勢は、私の今後の研究活動における大きな指針になっています。

所属するGoodyearラボは10か国以上からなる多国籍研究室。私はラボで一人の日本人、歴代で初めての歯科医でした。

慣れ親しんだ研究テーマの変更はそんな簡単なことではないでしょう。実際、分野変更を是とする米国でさえ、過去2年間、Goodyear研究室のポスドク候補全員が運動に関する研究をしていました。しかし、他の場所ならずっと大変かもしれないけれど、ボストンならきっとできると、私は強く後押しします。なぜなら、ボストンの一番の強みは、高いレベルの研究施設やバイオベンチャーが狭い範囲に集まっており、すぐにでも訪ねて行けることだからです。自分がやりたいこと・できないことを、有能なポスドクやテクニシャン、質の高い共通研究施設、意欲的な共同研究者、数多ある研究セミナーが助けてくれます。私の留学は運動への分野変更が入口でした。しかし気の向くまま自由に研究を進めた今、見えつつあるのはエピゲノム、胎盤機能、内分泌代謝といった予想もしなかった出口です。これができたのは、新しいことを始めるのに必要なハード・ソフトの両面が徒歩圏内に集約しているボストンであったからに違いありません。留学先は数多ありますが、もし皆さんが今までと違う研究に挑みたいのなら、私はボストンを勧めます。

極端な意見ですが、私は本当に才気煥発な日本人研究者は留学する必要がないと思っています。その恵まれた能力を活かし、国内で一刻も早く独創性のある研究を立ち上げるべきです。でも実際には、私を含めそうではない平凡な人が多いので、大いなる凡人が研究の世界で生き残るためには、自分に何か劇的な変化を起こす以外にありません。それならボストンに留学するのはいかがでしょうか。ランニング好きな研究者の方々、皆さんならより活動的にボストンライフを楽しめるのかもしれません。そうでない研究者の方々、こんな私でも充実した毎日を送りましたので全くご心配はありません。ロングウッド逍遥派の仲間ができるのを楽しみにしています。

ボストンは大雪に見舞われることもありますが、雪かきがオーガナイズされており歩くのに困ることはありません。

最後になりますが、このような貴重な留学のきっかけをくださったサンスター財団関係者の皆様、留学に送り出してくださった鹿児島大学歯学部の松口徹也教授に、この場を借りて感謝申し上げます。